秒速5㎝で消えて帰ってくる東野圭吾作品の女が出てくるエロゲ『月の彼方で逢いましょう』

小学生の時、性教育の授業でセックスを知った日の昼休みに校庭の木に登って枝に腰振ってたのが私だ。思えば、これが人生最初の黒歴史だった。

 

時は流れ数年後。中学生になった私は読書を嗜むようになり、少しは精神的に成長したわけだが、馬鹿なエロガキであるDNAとそのアイデンティティは易々と消えるものではなく、ふとした拍子に木に腰振った時の衝動が甦る。

 

東野圭吾の『ゲームの名は誘拐』を読んだ時にも、その”衝動”が甦った。

ゲームの名は誘拐』は狂言誘拐を題材にしたミステリー小説であり、加害者(誘拐する側)と被害者(誘拐される側)が結託して身代金を騙し取ろうとするストーリーだ。

ゲームのような駆け引きやら頭脳戦が同作の魅力で、先の読めないドキドキ感に満ちた作品なのだが、そんなことよりも私の脳裏にガムの如くこびりつき続けているシーンがある。

 

そう、車内でのベッドシーンである。

約2ページに渡って描かれるシーンのほとんどは主人公(男)の独白であり、今読み返すとそこまでエロティックな感じはしない。

が、当時中学生の私にはそれはもうとんでもねぇ衝撃だった。

やたら狭い車内で抱き合う男女というシチュエーション。前ページまでビジネスライクな付き合いだったのに急に肉欲的になるギャップ。あのシーンが後の性癖構築に大きな影響を与えたのは言うまでもない。東野圭吾の女は私を狂わした。

 

またまた時は流れ十数年。大人になった私はエロゲを嗜むようになり、少しは精神的に成長した……とは言い切れないが、ともかくエロゲをしている。

ゲームの名は誘拐』なんてタイトルは既に記憶の彼方へ消え、平穏な生活を過ごしていたある日。突如として、あの「東野圭吾の女」は「月の彼方」から蘇ったのだ。

 

そのエロゲの名は『月の彼方で逢いましょう』。

一見キャラゲーにしか見えないこの作品に「東野圭吾の女」が潜んでいるなぞ、プレイ前の私は気づきもしなかった――

『月の彼方で逢いましょう(つきかな)』オフィシャルサイト

 

*ここからは『月の彼方で逢いましょう』のネタバレが多分に含まれます。

 

 

 

『月の彼方で逢いましょう』(以降『つきかな』)は「高校生編」と「社会人編」の二部構成になっている。高校生編ではエロゲらしく先輩後輩ロリと多様な美少女に囲まれつつ青春を謳歌するわけだが、そのうちの1人に「新谷灯華」という名前のヒロインが存在する。

「灯華」は転校生+不良学生+一匹狼の属性を併せ持ち、会話の節々に家族との不仲と闇を匂わせる、明らかに”何かある”系ヒロインの王道だ。(しかも「好物:モンエナ」で「血液型:知らない」とか完全にやってますよこれは)

 

しかし、ロンリーウルフな彼女も主人公「黒野奏汰」との交流を通して徐々に柔らかくなり、恋仲に発展していくかにみえたその時―― 

突如、彼女は主人公に別れを告げてくる。

場面は夏の夕暮れ。線路を挟んだ遮断機の向こう側にいる灯華に向かって主人公は叫ぶものの、列車が過ぎ去った後には誰もいなかったのだ。

もう完全に秒速5センチメートルで、脳内には「いつでも探しているよ~どっかに君の姿を~」と歌いだす山崎まさよしたちの大合唱だった。

 

そんな「灯華」との突然すぎる別れを経て、物語は後半「社会人編」へと突入する。

主人公「黒野」は社会人となり忙しい毎日を過ごしていたが、やはり「灯華」のことが忘れられずにいた。

「向かいのホーム、路地裏の窓、こんなことにいるはずないのに~」まさしくこんな感じである。これには山崎まさよし(脳内)も私もにっこりだった。

 

しかし、物語は「過去と通信できるスマホ」の登場で大きく動き出す。

なんやかんやあって、このスマホの影響で過去の改変が起き、主人公(過去)は灯華との秒速5センチメートルENDを回避し、遂に彼女の秘密を知ることになる。

ここから作品の雰囲気が一気に変わっていく。

先に言っておくと、私はこの灯華√を最後にプレイしており、他の√は「泣きゲー」「キャラゲー」のノリだったので、灯華√もなんだかんだキャラゲーの枠内だろうと思っていた。

 

……のだが、そんなことはなかった。

彼女の口から語られる「計画」「復讐」というワード、マンションの自室に貼られた「新聞の切り抜き」。明らかに他ヒロインとは一線を画していた。

明け方の街、桜木町、旅先の店、新聞の隅。そんな”淡い青春”に「灯華」がいるはずもない。彼女がいたのは「火曜サスペンス劇場」か「金曜ロードショー」だったのだから。山崎まさよし(脳内)も困惑しつつ、「セロリの方がよかった?」みたいな顔になる。

 

話が進むにつれて恋愛描写よりも「計画」のために準備を進める男女二人の描写が増えてきていき、この先どうなるのか、明らかに不安材料しかない「復讐」は成功するのか。手に汗握るサスペンスが展開され――ってこれエロゲだよな?ToneWorksだよな?

 

困惑を抱きつつも、私は妙な既視感を覚えていた。この雰囲気、どこかで見たことがある。遠いどこかで。あれはなんだったか。

一方で話は進み、エロゲなので当然灯華のとセックスシーンが始まる。

そこで遂に私の既視感は像を結び出す。

下半身で発生した信号が脳の海馬を刺激し、記憶が甦る――

 

「『ゲームの名は誘拐』」

彼女こそが「東野圭吾の女」だったのだ。

共犯関係を経て純愛へと至る。よくあるストーリーラインではあるが、私は灯華を見て『ゲームの名は誘拐』という作品が浮かび、彼女にピタリとハマった。

 

こうして、灯華の秘密は明かされ、復讐計画の準備は進み、私の既視感も解消し、物語はクライマックスへと向かっていく。

銃を携え、二人で廃墟と化した灯台に向かうあたりはもう2時間ドラマのラスト30分のそれだった。ここから果たして二人は復讐を果たせるのか!変わってしまう過去により何が起きるのか!答えはCMの後!

 

といった感じで、灯華√の話を終えたいと思う。

そしてここまで語っといてなんだが、本作を好きな√順に並べると、灯華√は下の方である。しかしながら、私が一番衝撃を受け、忘れられないのはこの灯華√なのである。

他の√は「泣きゲー」「キャラゲー」だといったが、『つきかな』の7人のヒロインはそれぞれシナリオライターが異なるので、「キャラゲー」といっても√ごとに違った雰囲気が味わえる。

この「オムニバス形式」ともいうべき、ピザのハーフ&ハーフ感が本作の魅力だと思う。灯華という金ローの女までもを内包した『つきかな』、「多様なニーズにお応えしました」と言わんばかりの作品だった。